松本清張ゆかりの郷里 山陰・鳥取県日南町矢戸から特産品「おおえの自然薯」をお届けします

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神秘の里で生まれた自然薯(じねんじょ)秘話

鳥取県日南町矢戸私はアグリ紀行作家の農賀鋤太郎(のうがすきたろう)。
この世界では重厚な作風で知られる著述家だ。

今回、私が筆を執ったのは、先ごろ鳥取県日南町への取材旅行の際に遭遇した実に奇妙な、しかし心洗われる経験を読者にお伝えしたかったからだ。

自然薯(じねんじょ)と老人


日南町を訪ねた目的は、この山深い村里で自然薯(じねんじょ)栽培に取り組む地元の建設業者「大柄組」の取材。 大柄司社長に参入のいきさつや経営方針についてインタビューすることになったのだが、私は事務所への道すがら、その手前にある農場を確認してみた。

自然薯(じねんじょ)畑には、強風対策として鉄製の支柱による棚が作られ、隣接する棚との間隔が広くとられている。葉に太陽が当たりやすくなる配慮だろう。
そして、畝は高温多湿を嫌う自然薯のために外側が白色で内側が黒色のフィルム(ポリマルチ)で覆われていた。芋はこの畝の中ですくすくと育っているはずだ。そのときだった。突然、一陣の風が吹き抜けたかと思うと、いつの間にか横に見知らぬ老人が立っていたのである。

「自然薯(じねんじょ)はな、山の神様が丹精してこしらえた宝の芋なんじゃ。外から来た長芋や銀杏芋とは違う、日本固有の芋なんじゃ。あんた、自然薯(じねんじょ)に関心がおありかの?」
「えええ。この町で栽培されていると聞いて東京から来たんです。」
「ほう、わざわざのう…」
老人は自身を「ジョー爺さん」と名乗った。

私は奇異を覚えつつも、気まぐれな好奇心から調子を合わせてみることにした。

自然薯屋おおえ 初代おおえ爺さん

爺さん、大柄組を語る


農賀 では、ご老人、いや、「ジョー爺さん」は、この町で自然薯(じねんじょ)栽培が始まった経緯などもご存知なのでしょうね?

爺さん もちろんじゃ。あれは平成十五年頃かのお。仕事が減って悩んでおった大柄さんが思いついたのが、小さいころから慣れ親しんだ自然薯(じねんじょ)じゃ。

大柄さんはそれから懸命に勉強してな、翌年春、ついに休耕地二十二アールを個人で借りて(会社は農作業を受託。平成十九年から借入れ)、山口県の業者から買った種芋千五百本を植え付けた。

そして、野生では曲がりやすい性質の芋を、太くまっすぐに作れるパイプ栽培を導入。パイプに詰める土に工夫をこらし、高い品質を実現したんじゃ。

農賀 収穫した自然薯(じねんじょ)の販売ルートはどう確保されているんですか?

爺さん 最初の年、大半を販促用サンプルとして各方面に配布すると、歳暮向けに企業からの注文があり、百貨店も商材採用してくれた。その後ネットサイト「自然薯屋おおえ」を開設し、関東を中心に個人客も増えとる。課題は収穫物の三割を占める奇形品の扱い。町内外の製造業者と連携して、餅・麺・リゾットなど加工品開発に力を入れておる。

農賀 進物用に特化してまず法人需要から始め、個人需要を開拓するあたり、販売戦略としては堅実ですね。ネットの方も、検索エンジンに「自然薯」と入力すると、大柄組のサイトが上位表示されるのですから、閲覧件数も多いのでしょうね。

爺さん さよう、昔はなあ、掘り出した自然薯(じねんじょ)で客に山かけご飯をふるまうことが、わしの一番の楽しみじゃった。ところが、今では畑で立派に栽培されて、全国の人が日本古来の味に触れられるようになった。それがわしには何よりうれしいんじゃよ…。

感極まったのか、老人の目には涙が浮かんでいる。その滴がぽたりと落ちた瞬間、再び砂塵が舞った。視界が開けたとき、老人の姿は消えていた。私は茫然と立ちつくすほかに術がなかった。

自然薯屋おおえ社長

神様が見つめる山里


その後、事務所で大柄社長にインタビューを行った私は、驚愕の事態に直面した。

初代おおえ爺さんイラスト社長の話は先刻、爺さんから聞いた話と寸分違わず、社長が見せてくれた長大なパッケージには爺さんとうり二つのイラストが…。
ジョー爺さんとは一体何者なのか?自然薯(じねんじょ)畑の守り神に相違いないと、今では一人得心している。

鳥取県日南町。
そこは、清涼な水と空気にあふれる癒しの里にして、妙なる名品を生み出す恵みの里。そして、個性豊かな神々が人の暮らしを見つめる神秘の里。
自然薯や神守りし里拓けゆく 鋤太郎

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